嵐とは

2015-06-15

・嵐活動の歴史1(1999年~2005年)

嵐の活動は大きく2つに分けられます。
1つは華々しいデビューから、自らの存在価値を模索し、不遇と呼ばれた時代。
この時は嵐の着うたはまだ無かった時代でしょうね~。

もう一つは「花よりだんご」の大ブレークにより、現在に至るまでの嵐バブルと呼ばれた時代。

嵐はデビューをして14年めを迎えようとしていますが、こんなにも急激に自分たちの立ち位置が変わってしまったアイドルも珍しいのではないかと思うのです。

1999年9月嵐はハワイ沖で結成記者会見を行いました。もともとが「ワ-ルドカップバレー」の、イメージソングを歌う為の結成のようなものだったので、急激にテレビに引っ張りだこになり、連日連夜の仕事で睡眠時間が少なくなったことが、一番堪えたようです。
この時は嵐をやめようと思った・・・と大野は語っていました。

最初の勢いがだんだんと衰えてしまった嵐は、レコード会社のポニーキャニオンとの契約が打ち切りとなり、ジャニーズ初めての自社レーベルである「J-STORM」を立ち上げます。

この代表取締役がメリー喜多川の娘である、藤島ジュリー・Kなのですが、彼女は嵐を非常に可愛がっていました。
嵐が「不遇の時代」と言われていた時でも仕事をセレクトし、嵐を大切に育ててきた事が今日の国民的なスターと呼ばれる「嵐」を作ったのです。

初めての冠番組が日テレで「真夜中の嵐」としてスタートしました。
これは最終電車でたどり着いた真夜中の街を、嵐自らが日本全国自転車で回るというハードな企画でした。その他にもC(クレーム)の嵐では社会のクレーム処理をしたり、D(ドキュメント)の嵐では、当時メディアにあまり出ていなかったニューハーフを取材したりと、アイドルのバラエティ番組らしからぬ数多くの経験を積むことになります。
しかしTV番組も関東圏だけの放映であることが多かったため、「関東限定アイドル」などの皮肉を言われたりもしました。

2004年24時間TVの司会やオリンピックのイメージソングなどに選ばれたりもしましたが、ジャニーズ事務所が活動に力を入れている割には嵐の世間への認知度は低く、ジャニーズ内でも後輩であるデビュー前のKAT-TUNに激しく追い込まれることになります。

時代がセクシーさやワルっぽさを求めている中で、嵐のぼんやりとした雰囲気は「文化系アイドル」と言われ、いまひとつ受け入れらずにいました。

2005年発売のシングルCDが2枚という少なさなのも、嵐の活動が一番停滞をしていた時期を象徴しているのかもしれませんね。嵐の着うたなんて世の中に出るなんて思われない時代だったのでしょう。。。